イントロダクション

絶望の中で奇跡的に生まれつつある、ある美しい感情についての記録―。

14歳の少女が、同級生の少女を、刺殺した。これは事件の被害者の父と加害者の母との、その後の再生の物語だ。事件の記憶から、そして世間から逃れようと、東京を離れた二人は、ある地方都市で、再び出逢うことになる。望まざる邂逅。しかし、そこで芽生えた感情は、憎しみや後ろ暗さだけではなかった。魂と魂が触れあい、孤独と孤独が擦れ合うとき。摩擦が熱を生むようにして…… 監督は、インディペンデントでありながら『バッシング』(06)など四度カンヌ国際映画祭へと作品を送り出している小林政広。そんな彼が最新作に選んだテーマは、「愛」。いや、その「予感」だ。それも、眼を逸らしたくなるほど鋭利な、激情としての、「愛の予感」。小林政広はある決断をした。悔恨と絶望に苛まれながら、孤独に生きる被害者の父・順一を存在そのものの深みにおいて表現するため、自らの身体をカメラの前に立たせる。そして、共演者に選ばれたのは、『殯の森』(第60回カンヌ国際映画祭審査員特別賞)に出演、国際的評価も高い女優・渡辺真起子。順一と同じ絶望に加え、決して消えない罪悪感とともに生きる、加害者の母・典子に、明確な輪郭を与えている。絶望の中で奇跡的に生まれつつある、ある美しい感情についての記録―。それがこの映画、『愛の予感』である。

日本人監督として三七年ぶりに、ロカルノ国際映画祭金豹賞(グランプリ)を受賞

スイスで行われるロカルノ国際映画祭はカンヌ、ヴェネチア、ベルリンの3大映画祭に次ぐ権威ある国際映画祭。過去、最高賞である金豹賞を受賞した作品には、ジム・ジャームッシュ監督『ストレンジャー・ザン・パラダイス』、スタンリー・キューブリック監督『非情の罠』、ミケランジェロ・アントニオーニ監督『さすらい』といった不朽の名作が名を連ねる。そして、60年を記念する今年は日本から唯一コンペ部門に出品された『愛の予感』が受賞した。同映画祭での日本人監督のグランプリ受賞は、1961年の市川崑監督『野火』、1970年の実相寺昭雄監督『無常』以来、実に37年ぶりとなる快挙だ。さらに、本作はCICAE賞(国際芸術映画評論連盟賞)、ヤング審査員賞、そして、昨年他界したスイスが生んだ孤高の巨匠の名を冠したダニエル・シュミット賞を受賞し、4冠に輝いた。審査においてはジャ・ジャン・クー監督ら審査員全会一致のもと、金豹受賞が決まり、審査委員長のイレーヌ・ジャコブは、『愛の予感』を「美学的に力強く、コンペティションに参加した19本の映画の中で最も個性的である」と称した。その言葉は、映画そのものの純粋さを追求し、先鋭的になりえた映画『愛の予感』に対する最高の賛辞である。

story

東京湾岸に広がる高層マンション群。埋立地にあるこの新興住宅地は、中流所得層にとってあこがれの住居だ。順一は、新聞社で働く高層マンションの住人。妻は癌で数年前に亡くなり、今は娘との二人暮しである。

ある日、事件が起こった。中学生の娘が、学校の教室で同級生の少女に刺し殺されたのだ。 妻を失った順一は、続いて娘も失い、生きる希望を、なくす。勤めていた新聞社をやめ、引きこもりの生活を続けていた順一は、一年後、北海道に肉体労働の職を得る。順一は、収容所のような民宿で寝泊りし、毎日夜明けに起きて、鉄工所へと向い、働く。帰宅すると、日没とほぼ同時に眠りにつくのだ。そんな順一は、民宿で賄いの仕事をしている女、典子と出会う。

典子は、順一の娘を殺した子の母親だった。典子もまた、身を隠すように東京を離れ北海道の僻地でひっそりと生活を営んでいたのだ。被害者の父親と、加害者の母親とが、偶然にも顔を合わせた。二人は、毎日顔を合わせるものの、互いに名乗ることもなく、言葉を交わすこともない。それでも、順一は原罪を背負ったかのように生きている典子が、次第に、かけがえのない存在になっていく。

ある日、順一は、コンビニエンスストアでプリペイド式の携帯電話を二台買い、一台を典子に渡す。それが順一にとっての愛情表現であったのだ。しかし、頑なに他者を排除して生きていた典子は、それを突き返す。そして、順一を徹底的に拒絶する。ところが、典子は、順一を拒絶すればするほど、自分の内部で、何かが変わってきていることに気付き始める。乾ききった典子の心に、次第に、潤いがただよう。今度は、典子が、コンビニで、携帯電話を二台買い、その一台を順一に渡す。しかし、順一は、その携帯電話を、屑篭に捨ててしまう。

二人は、心を通わすことが出来るのだろうか…?
二人の間に、愛は、芽生えるのだろうか…?

「あなたなしでは、生きられない。でも、あなたと一緒では、生きていく資格がない」